R.I.P. ジョージ・マーティン [The Beatles]
ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティン氏が、90歳で亡くなった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160309-00000119-spnannex-ent
「ザ・ビートルズ」の作品をほぼプロデュースしたことから「5人目のビートルズ」と呼ばれた英音楽プロデューサーのジョージ・マーティンさんが亡くなった。90歳。9日、海外メディアが報じた。
ビートルズのドラマー、リンゴ・スター(75)はツイッターで「ジョージ・マーティンに神のご加護を。あなたの愛に感謝します」などと追悼。
故ジョン・レノンとオノ・ヨーコ(83)の息子、ショーン・レノン(40)もツイッターで「言葉がありません。安らかに眠ってください」などと追悼メッセージを送った。
マーティンさんは1962年、ビートルズを見いだし、96年、音楽界への貢献からナイトの称号を贈られた。98年、ビートルズのトリビュート盤「イン・マイ・ライフ」をプロデュースし、発表した。
私は学生の頃、ビートルズの伝記的映画「コンプリート・ビートルズ」を見て、ビートルズの結成から解散までのストーリーを知り、ビートルズを好きになった。 ジョージ・マーティンが語る映像で、ビートルズを知った。だから、ジョージ・マーティンが亡くなったと聞くと、ジョンレノンや、ジョージハリスンが亡くなった時と、同じような喪失感がある。
確かに、ビートルズの全曲のプロデュースに係ったのだから、まさしく5人目のビートルズだろう。 デビュー前のドラマー「ピート・ベスト」 か、ベーシストの「スチュアート・サトクリフ」 を思い浮かべる人もいるかもしれない。
ジョージ・マーティンは、ビートルズを見出したといっても仮言ではない。 「プリーズ・プリーズ・ミー」を、シングル曲として、大ヒットさせたのも、彼のアドバイスが大きかったようだ。 ジョージ・マーティンは、彼らの父親のような存在だったんじゃないか。
ジョージ・マーティンは、、「イン・マイ・ライフ」で、間奏のバロック調のピアノを弾いているのだが、テープ速度を半分に遅くして録音し、再生では速度を倍にしているとか、なかなか凝ったアレンジをしていたそうだ。
アビーロードのB面のメドレーは、 ポールとマーティンが中心となって手掛けたそうだし、彼がいなければ、ビートルズの世界的な成功も、なかったのではなかろうか。
最近では、彼らの再編集アルバム「LOVE 」を、息子のジャイルズ・マーティンとともに、プロデュースしていたようである。
大変お疲れさまでした。
ご冥福を、御祈り致します。
イーグルス解散か [Eagles]
< 2016.3.14 アールオーロック から >
イーグルスが、今度は本当に解散するようだ。1982年にはじめて解散を表明してから、Hell Freeses Over Tour (1994,95),Farewell Tour (2004,05) , Long Road Out of Eden Tour (2007) と不定期に再結成ツアーを繰り返した彼らだが、ドン・ヘンリーにとって相方のグレンフライが居なくなっては、もうライブも出来ないと思ったのだろう。
ドン・フェルダーを解雇したあたりから、このグループを少し嫌いになったが、それでも、「ホテル・カリフォルニア」を、初めて聞いた頃の印象は鮮烈だったと思う。今まで数えきれない位、聴いただろう。
ひとつの時代が終わってしまったんだな、としみじみ思う。
ホテル・カリフォルニア <FOREVER YOUNG CAMPAIGN 2015>対象商品
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2015/07/22
- メディア: CD